☆金沢城の歴史を訪ねる。
☆石川門
☆河北門
☆左から橋爪門、五十間多門長屋、菱櫓
☆菱櫓
☆橋爪門
☆五十間長屋内部
☆本丸石垣
☆案内図
「金沢城」
通称: 尾山城
城郭構造: 梯郭式平山城
天守構造: 不明(1592年築)
御三階櫓:(1593年築)
築城主: 佐久間盛政
築城年: 1580年(天正8年)
主な改修者: 前田利家・利長
主な城主: 佐久間氏、前田氏
廃城年: 1871年(明治4年)
遺構: 長屋・門、石垣、土塁、堀移築能舞台
指定文化財: 国の重要文化財(石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫)、史跡
再建造物: 菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋
金沢城は、金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の
先端に築かれた戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である。(かつて
「尾山」と呼ばれたのも、この地形に因む。)櫓や門に見られる、白漆喰の壁に
せん瓦を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた
唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。
この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、
または御山御坊)」であった。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)
と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。織田信長が一揆を攻め
落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間氏を置いた。後に佐久間氏が賤ヶ岳の戦い
で羽柴秀吉により滅ぼされ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。利家は1592年
から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べた。兼六園は、
4代綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園である。明治以降は、存城と
されて軍施設が置かれたため建物の一部を残して撤去され、第2次世界大戦後には
金沢大学が1995年まで置かれていた。
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